剣がほしい

癌だと宣告されました。妻は胃液を出すまで吐いてます。

いつもならぜったい見ない父との共有のEメール。なぜかその時だけそのメールがどうしても気になって開いてしまった。見たくなかった。知りたくなかった。

 

 師走。12月。年末年始。父は私達家族に、お父さん検査入院することになったんだ。さらにふざけてお父さん死ぬんだといった。なにいってるの母が言った気がする。

年明け父は入院した。手術は成功したといわれた。若いから体力の回復が早いとリハビリした。たまにお見舞いにいった。

落書きのメモを残した。盾しかないから、剣がほしいねと絵を描いた。

 七月退院した。いや八月かもしれない。わからない。

帰宅してもむせてばかりで苦しそうだった。熱も下がらなかった。体調も悪かった。

手術成功したとというのはお母さんの優しい嘘だったのかな。今でもわからない。最近まおさんのことがあったから、ステージいくつだったの?ときいた。

再度入院した。自分で痰もとれなくなった。

何度も病院に呼ばれた。朝の5時だろうが、不安になりながら、病院にいった。

奇跡は起きるものだと思っていた。だからこそ、奇跡なんじゃないの?ずっと自分が悪い子だからいけないんだって思っていた。大切な人が死んで自分が生きることが許せなかった。変わりたかった。私が死にたかった。

 

九月。朝8時。電話が鳴った。いつものことだから学校に行った。いつも通りに。

学校で先生に呼び出された。悲しい笑顔でおうちに帰りなさいと。またいつものことか。天気雨の中、5分もしないおうちに帰る。家に帰ると玄関をおばさんが開けてくれた。なんで??濡れた私にタオルを渡してくれた。お父さんに会いなさいといった。部屋には知らない人がいた。喪服をきていた。お父さんがいた。白い布がかかっていた。受け止められない現実と一瞬で受け止めた現実に泣いた。中学二年生、14歳のことだった。

バカみたいにお葬式もお通夜も泣かなかった。泣いてる姉やお母さん。現実を受け止めてないのか、泣いたらお父さんが成仏できないと思った。お母さんは痩せた。ごはんをたべれなくなったから。それからお母さんは電話で誰かと話しながらよく泣いた。お母さんはぼーっと物思いに耽るようになった。知らなかった。今まで、ちゃんと家族を見てなかったんだ。お母さんがぼーっとしていることなんてなかった。それまでお母さんが泣いているところなんて見たことなかった。1番近い距離で私は1番大切な家族をちゃんと見れてなかった。がっかりした。家族には笑っていてほしい。ふざけてばかりいた。心がついていかなくなった。

お父さんのいない人生の方が長い。お父さんより歳をとりたくない。変わらないお父さんに近づきたくない。記憶の中から、声が顔が消えていく。忘れたくない。忘れたい。生きてほしい。